〜大学時代、胸熱の先輩がくれた「食」と「街」と「背中」〜
自分の“味覚”が変わった瞬間、ちゃんと覚えてる。
大学時代、京都駅近くのホテルでアルバイトしてた頃。
そこで出会ったのが、10歳年上の先輩。
料理人で、ソムリエ資格まで持ってる、ちょっと背中で語るタイプの人やった。
その人に、めちゃくちゃ可愛がってもらった。
俺だけやなくて、同じバイトの大学の友達も一緒に、
いろんな店に連れてってもらった。
イタリアン、フレンチ、居酒屋、日本料理——全部、先輩の“お気に入りの場所”。
お金がない俺らにも、何も言わずに全部奢ってくれて、
「ええから、とりあえず食え」って笑いながら言ってくれた。
バイト終わりやバイト前、何度も一緒に通ったのが、
京都駅ビル10階の「キッチンサルバトーレ クオモ」。
あそこには20回以上通った。
初めてモエ・エ・シャンドンを飲んだのも、ここ。
「うわ…泡ってこんな味なんや」ってシンプルに感動した。
もちろん毎回が高級ディナーってわけやない。
金がない時は、東本願寺の烏丸通沿いの石段に腰掛けて、
コンビニ飯を分け合いながら、深夜まで夢を語り合った。
「俺、こういうことやりたいと思ってる」
「そうなんか。……それはそうなったらすごいな。頼むで、ほんま頑張れよ」
あの言葉、いまだに熱いまま残ってる。
社交辞令じゃない、“信じてくれてた”って確信できた瞬間やった。
それから何年も経った。
でも今、自分はあのとき語った夢をちゃんと叶えて、そのポジションにいる。
遠回りもしたし、悩んで苦しんだ時期もあった。
でも、ちゃんと今、やれてる。
だからまた会えたときには、
何気ない顔して隣に座って、ただ一言だけじゃ足りへん。
「先輩、あん時ほんまありがとう。
信じてくれてた言葉、ずっと覚えてる。
今、あの夢の中にいます。
そのきっかけをくれたのは、あの時の時間と先輩やったんです」って、
ちゃんと伝えたい。
味覚は、勝手に育たへん。
出会いと、時間と、背中と、信じてくれる誰かが育ててくれる。
俺の味覚も、夢への姿勢も、
あの先輩の愛と京都の夜に育ててもらったと思ってる。