第5話 お礼参り、してきた話。〜一度折れた心と、もう一回立った自分と〜

俺、最近「お礼参り」してきてん。

あ、なんか物騒なやつちゃうで。

ちゃんとした、感謝のやつ。

今、俺は36歳。

大学卒業してそのまま今の職場に入って、もう14年目。

この仕事はもともと「なりたい」と思って入って、

その中でも「このポジションにつきたい」っていう目標を見つけて、

そこに向かってずっと走ってきた。

自分にしかできへんような役割。

命に関わるような場面で、最前線に立てるような存在になりたかった。

そのために、何が必要か、どんな資格を取るか、

どんなスキルを積み上げて、どんな人間でいるか。

ずっと考えながらやってきた。

2年前、やっとそのポジションに就けた。

…はずやってんけどな。

いざ現場に入ってみたら、上司とまったく合わへんかった。

チームの中で大事にされてへんなって感じることも多くて、

自分が大事にしてきたスキルや知識にも、

まったく興味を持ってもらえんかった。

というか、たぶん最初から、

「そんなもんいらん」「なくても回ってた」って思われてたんやと思う。

自分はどの角度からも懐に入れへんくて、

何言っても通じへんくて、

だんだんだんだん、自信が削れていった。

やる気もなくなって、

「ここまでやってきた意味、何やってんやろ」って思って、

自分がこの場にいる価値すら見失いかけてた。

ほんまに、折れた。

悲しかった。

悔しかった。

そして、怖かった。

あんなに信じて積み上げてきたことを、

真正面から「いらん」って言われた気がして、

それが、めっちゃ悲しかった。

今までの人生で、あんな扱いをされたことがなかった。

だから余計にダメージがでかかった。

異動して、しばらく“療養”の時間を過ごした。

実家に戻って、親ともいっぱい話した。

でも、元気出えへんかった。

布団から出られへん。

外に出たくない。

寝ても起きても、あの時のことばっかり思い出す。

悔しくて、悔しくて、たまらんかった。

表情も死んでたと思う。

ある日、嫁さんに言われた。

「…もうさすがに、ちょっと心療内科行ってきた方がええかもしれん」

俺、強がりやし、今までそういうこと口にしたこともなかったけど、

その時ばかりは「もうアカンかも」って本気で思ってた。

そんなとき、俺を救ってくれたのが、同期のケイちゃんやった。

入ったときからずっと一緒で、

ランニング行ったり、自転車乗ったり、結婚式では俺が主賓のスピーチしたくらいの仲。

家族ぐるみで付き合ってるし、何より俺のことを一番よく知ってくれてるやつ。

久しぶりに会って、いろいろ話した。

言葉には出してなかったけど、もうボロボロやった俺に、

ケイちゃんは、こう言ってくれた。

「お前、間違ってないよ」って。

その一言で、またちょっと立ち上がれる気がした。

たったそれだけで、救われることってあるんやなって、初めて思った。

そこから少しずつ、いろんな人とも話して、

動いてみたら、いろんなことが変わっていった。

結果的に、1年後にもう一回、あのポジションに戻れた。

メンバーも変わってた。

上司も変わってた。

今の上司は、俺のことをちゃんと理解しようとしてくれる。

「やりたいようにやってみ」って言ってくれた。

「それがチームにとって大事やし、お前の持ってるもんは活かすべきや」って。

最初は、「ほんまかよ」ってちょっと疑ってたけど、

何ヶ月か働いてみて、わかった。

ああ、この人は言葉だけやないな。信じてええな。

メンバーたちも、ちゃんと話を聞いてくれる。

自分の技術や考えに、**「それ大事ですね」**って反応してくれる。

なんかようやく、自分が「ここにいてええんやな」って思える場所に戻ってこれた。

そんなことがあったから、

ケイちゃんに「お礼参り」してきたんや。

最初はいつも通りのノリやったけど、

ちょっとお酒入って、ふとしたタイミングで言えた。

「ほんま、あんとき、ありがとう」って。

「感謝してもしきれんわ」って。

普段そんなこと言わん俺やけど、

この時ばかりはちゃんと伝えたかった。

人生って、思い通りにいかへん。

でも、思い通りにならん中でどう生きるかってのが、きっと大事なんやと思う。

しんどくて、泣いて、寝込んで、それでも。

もう一回、自分を信じてやってみようと思えたのは、

自分のことを見ててくれた人がいてくれたから。

これが、「お礼参り」の話。

また一歩ずつ、全力でやっていくで。

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