俺、最近「お礼参り」してきてん。
あ、なんか物騒なやつちゃうで。
ちゃんとした、感謝のやつ。
今、俺は36歳。
大学卒業してそのまま今の職場に入って、もう14年目。
この仕事はもともと「なりたい」と思って入って、
その中でも「このポジションにつきたい」っていう目標を見つけて、
そこに向かってずっと走ってきた。
自分にしかできへんような役割。
命に関わるような場面で、最前線に立てるような存在になりたかった。
そのために、何が必要か、どんな資格を取るか、
どんなスキルを積み上げて、どんな人間でいるか。
ずっと考えながらやってきた。
2年前、やっとそのポジションに就けた。
…はずやってんけどな。
いざ現場に入ってみたら、上司とまったく合わへんかった。
チームの中で大事にされてへんなって感じることも多くて、
自分が大事にしてきたスキルや知識にも、
まったく興味を持ってもらえんかった。
というか、たぶん最初から、
「そんなもんいらん」「なくても回ってた」って思われてたんやと思う。
自分はどの角度からも懐に入れへんくて、
何言っても通じへんくて、
だんだんだんだん、自信が削れていった。
やる気もなくなって、
「ここまでやってきた意味、何やってんやろ」って思って、
自分がこの場にいる価値すら見失いかけてた。
ほんまに、折れた。
悲しかった。
悔しかった。
そして、怖かった。
あんなに信じて積み上げてきたことを、
真正面から「いらん」って言われた気がして、
それが、めっちゃ悲しかった。
今までの人生で、あんな扱いをされたことがなかった。
だから余計にダメージがでかかった。
異動して、しばらく“療養”の時間を過ごした。
実家に戻って、親ともいっぱい話した。
でも、元気出えへんかった。
布団から出られへん。
外に出たくない。
寝ても起きても、あの時のことばっかり思い出す。
悔しくて、悔しくて、たまらんかった。
表情も死んでたと思う。
ある日、嫁さんに言われた。
「…もうさすがに、ちょっと心療内科行ってきた方がええかもしれん」
俺、強がりやし、今までそういうこと口にしたこともなかったけど、
その時ばかりは「もうアカンかも」って本気で思ってた。
そんなとき、俺を救ってくれたのが、同期のケイちゃんやった。
入ったときからずっと一緒で、
ランニング行ったり、自転車乗ったり、結婚式では俺が主賓のスピーチしたくらいの仲。
家族ぐるみで付き合ってるし、何より俺のことを一番よく知ってくれてるやつ。
久しぶりに会って、いろいろ話した。
言葉には出してなかったけど、もうボロボロやった俺に、
ケイちゃんは、こう言ってくれた。
「お前、間違ってないよ」って。
その一言で、またちょっと立ち上がれる気がした。
たったそれだけで、救われることってあるんやなって、初めて思った。
そこから少しずつ、いろんな人とも話して、
動いてみたら、いろんなことが変わっていった。
結果的に、1年後にもう一回、あのポジションに戻れた。
メンバーも変わってた。
上司も変わってた。
今の上司は、俺のことをちゃんと理解しようとしてくれる。
「やりたいようにやってみ」って言ってくれた。
「それがチームにとって大事やし、お前の持ってるもんは活かすべきや」って。
最初は、「ほんまかよ」ってちょっと疑ってたけど、
何ヶ月か働いてみて、わかった。
ああ、この人は言葉だけやないな。信じてええな。
メンバーたちも、ちゃんと話を聞いてくれる。
自分の技術や考えに、**「それ大事ですね」**って反応してくれる。
なんかようやく、自分が「ここにいてええんやな」って思える場所に戻ってこれた。
そんなことがあったから、
ケイちゃんに「お礼参り」してきたんや。
最初はいつも通りのノリやったけど、
ちょっとお酒入って、ふとしたタイミングで言えた。
「ほんま、あんとき、ありがとう」って。
「感謝してもしきれんわ」って。
普段そんなこと言わん俺やけど、
この時ばかりはちゃんと伝えたかった。
人生って、思い通りにいかへん。
でも、思い通りにならん中でどう生きるかってのが、きっと大事なんやと思う。
しんどくて、泣いて、寝込んで、それでも。
もう一回、自分を信じてやってみようと思えたのは、
自分のことを見ててくれた人がいてくれたから。
これが、「お礼参り」の話。
また一歩ずつ、全力でやっていくで。